色鮮やか、というには白すぎるそれ。
アルベルトは目を細め、遠くに光るそれを見やった。
僅かに流れる風に白がざわめき、
その中で盟友が手を上げているのに気づくのには数秒を要した。
「よく来たねェ。」
クフィーヤが靡いた。
「ここまで歩いてきたのかい?迎えの車は?」
「門からここまで、たいした距離ではなかったからな。
儂が歩く、と降りて来たのだ。」
「キミらしいよ。」
セルバンテスは笑うと、屋敷の方へと足を向ける。
屋敷に近づくにつれ、白の光は形を現し始め、
その正体が花であることをアルベルトは知る。
「……桜、か。」
「見事だろう?間に合ってよかったよ。」
「?」
アルベルトが僅かに眉を顰めると、セルバンテスは自慢げに微笑み、
「丁度今日が満開なんだ。散る前に来てくれて良かった。」
笑顔は何時ものままだ。
軽い違和感を感じたのは、桜のせいかも知れない。
「……馬鹿馬鹿しい。」
風が吹く。
「え?何?」
一歩前を歩いていたセルバンテスが振り向いた。
「いや、何でもない。」
「独り言?やだねー。暗いよ?アルベルト?」
「何でもないと言っておるだろうが!」
思わず語気を荒げたアルベルトを尻目に、セルバンテスは大袈裟に肩を竦めると、
「まーまー、ちょっと遅いけどね、お茶にでもしようよ。
今じゃ珍しい極東のお茶とお菓子を仕入れてあるからさ。」
そう言って、再び歩き出す。
ざわ、と桜が呟いた。
「この屋敷は初めてだな。」
屋敷の裏庭には更に見事な桜が花を競っており、
合間合間に見え隠れする周囲の雑木林の緑ですら、やもすれば白く染まるようで。
「んー、結構昔から持っていた屋敷だけどね。
……そうだね、キミを招待するのは初めてだ。」
風は吹いてはいるが、落ち着かないということもない。
庭先のポーチに準備されていたテーブルの上には、
アルベルトにはあまり馴染みのない、持ち手のないティーカップと菓子が並んでいる。
「美しい色だが、茶には見えんな。」
セルバンテスの持ち方に倣ってそれを手にしたアルベルトは、
カップの中を満たす透明な萌葱色をまじまじと見つめた。
「紅茶の素だよ。大丈夫、毒はないから。」
からかう様に言ってのけたセルバンテスにムッとしながらも、アルベルトはその色に口をつけた。
予想よりも爽やかな渋みと味が広がる。
「ふむ…。」
「気に入ったみたいだねェ?」
妙に嬉しそうなセルバンテスは、続けて薄紅色の茶菓子も勧めた。
こちらも上品な甘さと僅かな塩味が丁度良く、アルベルトは珍しく茶菓子を全部平らげた。
「なんかさ、嬉しいねェ。」
同じくすでに茶菓子の皿を空にしていたセルバンテスが、自らアルベルトのカップに茶を注ぐ。
「何がだ?」
「自分が気に入ってるものを人に認められるっていうのは、快感じゃないかね?」
…言い回しが多少気に入らないのだが、とアルベルトは思う。
「互いを理解しようと努力することは賞賛に値するが、
それに自分を合わせることほど滑稽な事はないと思うんだよ。
私は私であって、キミじゃない。逆もまた然り。」
「ふむ。」
アルベルトの右手が顎鬚を撫でた。
物事を考え始める時の数少ない癖だ。
「だから、自分のスタンスを崩さない状態で、
相手からの賛同や同意を得られる、
もっと言えば趣味に理解を得られる、
これは日常的なようで決してそうじゃない。」
セルバンテスは立ち上がると、教師よろしくゆっくり歩き回りながら言葉を続ける。
「本当に自分の譲れない『もの』には、
そんな日常的な意識は持ちたくないからね。
相手からの心からの賞賛と賛辞。そして理解。
これが快感と言わずして何と言おうか?」
「お前らしいな。」
その最後の少し大袈裟な言い回しまでも。
アルベルトは僅かに肩を揺らして笑った。
セルバンテスは少しおどけた様子でアルベルトを見下ろしていたが、
不意に薄く微笑んだ。
「…キミを今までこの屋敷に招待しなかったのは、それもあるんだ。」
ひらり。
一片の花弁。
萌葱の上。
「想像以上に、キミは私の中で特別らしいよ。」
「……。」
答えないアルベルトの態度を”疑問”ととったのか、セルバンテスは続けて、
「私はこの花が本当に好きなんだが、
今までそれを君に言った事は無い。
それはキミがこの花を好きかを知らないし、知ろうともしなかったからさ。」
遠く、風の音。
遠く、鳥の声。
「この屋敷に来た人間は、みんなこの花を褒めるよ。
その度に本当にムカついてたんだ。
『貴様等に一体何が判るというんだ。』ってね。
でも、それはそこでオシマイ。
だって私とそいつ等は違うんだよ?
口先だけのおべんちゃらは”社交辞令”ってやつさ。
私が気にする事じゃない。
だから、平気でこの屋敷にも呼べる。
けれど……。」
一旦言葉を区切り、セルバンテスはアルベルトの方へ歩み寄った。
片腕をテーブルに着き、その顔を覗き込む。
顎鬚を撫でたままの姿勢の、何時もの顔が目に映った。
「―――――キミからは、そんな”社交辞令”は欲しくなかった。
私の本当に愛する物を、本気で理解して欲しかった。
キミはキミで、私は私。そんな簡単な理屈を理解できなくなるくらい、
私はキミには我侭になっていたからね。」
風が吹いた。
「この花はキミに似ているよ。」
僅かに散っていく、白い破片。
「雄々しくて、潔い。」
「―――――買被り過ぎだ。」
努めて落ち着いた口調で、アルベルトは茶を飲み干す。
今まさに散りゆく花片をセルバンテスに重ねたことは言わないまま。
その見事な華々しさと儚さは、時折自分が感じるセルバンテスそのものであると。
愛すべき欠片をも飲み込んで。
クフィーヤが舞い上がった。
白い破片は、花か、布か。
「…そろそろ風が冷たくなってきたかな。」
何時もの口調で、セルバンテスが仰ぎ見た。
遠く沈む夕日は紅く暖かだが、空は藍色に染まり始めており、
間もなくここも夜が降りてくる。
「屋敷で食前酒にでもしようか?少し身体が冷えてきたことだし。」
「そうだな。その方がありがたい。」
いつの間にか控えていた召使達が片付けを始め、
セルバンテスはポーチを越えて屋敷へとアルベルトを案内する。
「今日は泊まっていくだろう?」
振り向き、セルバンテスが笑う。
「夜桜もなかなかの物なんだよ?」
「…そうか。楽しみだな。」
そう返し、アルベルトも笑う。
藍色の空に貼り付く二次元の月。
この白い光にも、きっとこの花は映える事だろう。
『その時には、言おうか。』
自分が如何にこの花が好きなのかを。
今目に映るセルバンテスの姿が、どれだけこの花と重なって見えるかを―――――。