「スタンダールの駒」 Written by ユキノ



「楽しんでるかい?アルベルト?」
軽く弾むような声と裏腹に、アルベルトは微かに眉を顰め、
セルバンテスの差し出したシャンパングラスに手を伸ばした。
「…儂がこの手のパーティが苦手なのは知っているだろう。」
そう一言答えると、一気にシャンパンを呷る。
「いくら『裏』の人間のパーティとはいえ、何が起こるとも解らん。」





セルバンテスのオイル・ダラーとしての”表”の顔の中にも、
いわゆる実社会の『裏』との繋がりはある。
それはBF団の様な秘密結社というものではなく、
必要悪としての、『裏』。
今日、アルベルトが招待されたパーティは
そんな裏社会の人間達の集まりだった。
本来なら、国警の目を警戒して避けるところではあるのだが。
「でも来てくれたじゃないか。」
セルバンテスは多少酔っているのか…
はたまた、何時もの悪ふざけなのか、
ひどく上機嫌な様子で自分のグラスを空けた。
「主催が珍しくお前だったろう。」
これがゲストとして招かれたセルバンテスに同行するというのなら、
アルベルトは決して出席しなかっただろう。
「…きまぐれ、だよ。」
ふふ、と微かにセルバンテスは微笑んだ。
「最近の私の趣味を見せたくてね。なかなかの仕上がりだと思うんだけど?」
確かに、とアルベルトは周囲を見回す。
最近になって購入したと聞いていたセルバンテスの新しい別邸は
今夜のように、まるでパーティの為の建物のようだ。
今こうして会場となっている広間は周囲の壁は赤と黒と金を主体とした装飾で、
古き良き時代の王室家を髣髴とさせる。
そんな広間の中央はこれまた懐古趣味と言おうか…
目にも鮮やかな緋色のタイルで社交ダンス用のスペースとしてあつらえてあり、
時折クラシカルなワルツやスローが流れ、ちょっとした舞踏会さながら。
一定の美意識に統一されたそれらは、
それでもどこか非現実的で、セルバンテスのいう『きまぐれ』という言葉が似合う。
「お前にこんな趣味があるとは意外だったがな。」
「それはパーティ?屋敷?ダンス?」
「全部だ。」
ハハハ!と今度は高らかに笑うと、
「それは褒め言葉として受け取っておくよ。」
右手を上げ、近くの給仕に次のグラスを差し出させる。
アルベルトにも同じく勧めると、
「お互いの美学に乾杯。」
軽く合わせたグラスが、チン、と薄い音を立てた。
「……それにしても。」
と、アルベルトはまじまじとセルバンテスの今夜の服装を見つめた。
何時もより若干軟らか目の白い絹のスーツ。
腰よりも長く、やもすれば床に着きそうなほど長めに丈を取ったクフィーヤは
同じく白い絹に、銀糸の刺繍。そして裾にはメレダイヤが煌めいている。
それはさながらドレスの様で、
セルバンテスのしなやかな動きにはよく似合っているのだが。
「随分と派手な服だな、今日は。」
「特注なんだ。私のデザインだよ?ま、余興のためなんだけどね。」
セルバンテスは軽く首を傾げると、
「アルベルト、キミ、ダンスはできたっけ?」
「何?」
「ダンスだよ、社交ダンス。ワルツとか、タンゴとか。」
アルベルトはセルバンテスの真意を掴みかねたが、
「……あまりそういった物には縁がなかったのでな。
 基本のステップ位しかわからん。」
僅かに引き気味に答えた。
が、セルバンテスは悪戯を仕掛けた子供の様に微笑むと、
「ま、できなくっても付き合ってもらうんだけどね。」
「何ぃッ?!」
思わず荒げたアルベルトの声に、周囲の客の視線が集中する。
セルバンテスは人差し指をアルベルトの唇に当て、シー、と黙るよう促すと、
「私の余興だよ。付き合ってくれなきゃあ。」
そう言って、フロアの床を指差す。
「よーく見てくれよ。薄くだけれど、タイルの継ぎ目が見えるだろ?」
言われてアルベルトも床を見つめる。
なるほど、確かに真新しいダンスフロアの床は、一見には一枚の板のようになっている
が、それを形作るのは小さいタイルだ。
「幅的にはちょうどダンスのステップの一歩分くらい。
 私だって得意なわけじゃないからね、目安を作ってあるんだ。」
「しかし、だからといって…。」
ダンスがすぐに踊れる訳でもないだろう。
アルベルトは言いかけたが、セルバンテスはそれを見越すように片手で言葉を遮ると、
「足の運びは私が言うから、その通りに動けばいい。
 なに、オアソビのダンスだからね。気にするような奴はいないさ。」
アルベルトにしてみればそういう問題ではないのだが。
だが、セルバンテスとの付き合いは昨日今日の話ではない。
こういう時のこの男の性格は十分すぎるほど理解しているアルベルトだ。
僅かに目を伏せ軽く溜め息をつくと、手にしていたシャンパングラスを近くのテーブルに置く。
「どうせ、やらなければ気が済まんのだろう。」
スーツの裾を伸ばし、襟を正し、タイを整える。
「そうこなくっちゃ!」
セルバンテスは指を鳴らした。
同時に執事の様な初老の男が現れ、セルバンテスからなにやら告げられると
恭しく頭を下げて下がっていった。
やがてフロアが整えられ、ゲスト達がその場所を空け始める。
「……余興じゃないのか?」
「余興だよ?」
ククク、と一人悦に入った様子のセルバンテスは、アルベルトの困惑した顔を面白そうに覗き込んでいる。
その様子に一言だけ文句をつけようとしたアルベルトの声は、
攻撃的なタンゴの前奏部分に閉ざされた。





セルバンテスが小首をかしげ、促す。
アルベルトは多少眉を顰めたままではあったが、
右手を差し出し、フロアへとエスコートする。
沸き起こるゲスト達の拍手と歓声。
気分を高揚させるバンドネオンの音色が響き渡り、
セルバンテス好みの刹那的なメロディーがフロアを包む。
「キミが解り易くいこう。スタートはここ。『黒の騎士』はcの6から。」
「チェス盤にしてはいささか自由すぎるようだがな?」
「たまには自由に走りたまえよ。
 騎士道は時として枷としかならないものさ。」
言うなり、セルバンテスは身体を大きく回して見せた。
咄嗟に支えたアルベルトを軸にして、長いクフィーヤが弧を描いて広がる。
どぉっ、と歓声が大きくなる。
「dの5、eの6、fの6。」
タイルの目を僅かに確認しながら、白と黒の駒は滑るようにフロアを巡る。
「…gの5、4、3、ターン。」
アルベルトはリズムに遅れないよう気にしつつも、
優雅にステップを踏み、ターンしたセルバンテスの腰を支える。
『……ん?』
その支えた腰に回した右手に、微かな違和感。
「fの4、eの5、dの6、cの5、4、3…。」
腰に回した手を、ほんの少しだけずらしてみる。
今度は完全に手に当たった、不釣合いな硬い感触。
アルベルトがその感触に気づいたことに、セルバンテスはニヤリと笑って見せると、
「……bの3、cの4、dの4…『王』はその先に。」
顎を少し上げ、ゲスト達の方へと視線を投げる。



     視線の先からほんの一瞬だけ流れ込んでくる殺気。



アルベルトの背筋に電流に似た痺れが走る。
「成る程…そういうことか。」
一際自虐的に響く、ヴァイオリンの音色。
フロアを走り始めてから初めてアルベルトは笑った。
「…eの5,4,3、fの3、2、ターン!」
フロアの灯りに、舞い上がったクフィーヤの裾から銀の光が零れた。
旋律が共鳴しあい、アルベルトは鼓動が高くなってゆくのを感じる。
穏やかに、それでいて魅せられるように二人を見つめるゲスト達の合間に見え隠れする、
その不釣合いな感じ慣れた気配。
自分達に向けられた針の様な殺意と緊張感。
魂が高揚する、この満ち足りた瞬間!
「もう、マニュアルは必要ないね?」
「無論。」
一言。それだけで十分だった。
先刻までのぎこちなさは微塵もなく、アルベルトは大胆に、力強いステップを踏み始めた。
セルバンテスは本当に楽しそうに、それでいてしなやかな動きでアルベルトに合わせていく。
絡み合うような黒と白は、今、緋色の盤上の支配者となる。
彼らを賛美するメロディーは絶頂を迎え、
同時に、殺意の針が今まさに突き刺さらんばかりに狙いを定めたのを二人は感じた。
「あと…6手で『チェック』だ。」
アルベルトはセルバンテスの腕を引き寄せると呟いた。


6、5、


「サポート頼むよ?自信はないからねェ?」


4、3、


「……よく言うわ。」
同時に微笑む。
アルベルトがセルバンテスの腰へと腕を回し、同時に大きくターンを決める。
クフィーヤが艶かしくもしなやかにうねって、二人の姿をほんの一瞬、外界から隠した。


2、1、


クフィーヤの波を裂き、背を反らしたセルバンテスの左手が捕捉する。
「チェックメイト!」








     曲を締めくくるかのような銃声は、
     ゲームの終わりをも告げた―――――。

















セルバンテスは左手をアルベルトの右手に預けると、
クフィーヤの裾をつまみ、さながら貴婦人のごとく膝を着き、ゲスト達に一礼した。
アルベルトも左手を自分の身体の前に回すと、堂々たる貴族の余裕で挨拶して見せる。
「……ブラボー!!」
ゲストの一人の小太りな男が叫ぶ。
賞賛の歓声と拍手はたちまちの内に会場を埋め尽くし、二人の『勝者』を称えた。
セルバンテスの弾丸に倒れた男はすでに息絶えており、
眉間から流れるどす黒い血はまだ流れ続けていたが、
先刻の執事らしき男が軽く合図をすると、
10分とたたない内に給仕達がその抜け殻を血痕一滴残さずに片付けた。
盤上から降りた二人は新しいグラスを受け取ると、小さく乾杯した。
「…商売敵の雇ったネズミでね。最近私を付け狙っていたんだよ。」
微かに上気した顔をいつもの皮肉めいた笑みで覆い、セルバンテスは一息にグラスを空けた。
「随分間の抜けたネズミだったな。殺気をあそこまで晒すとは。」
アルベルトもグラスに口をつける。
先刻も飲んだ筈のシャンパンは、不思議と甘美に思えた。
「だから、自分の能力を使う気にもならなくてねェ。暇潰しに付き合ってもらったのさ。」
「いい趣味だ。」
「だろォ?」
二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。





『余興』に一気に盛り上がったパーティは更に賑やかになっており、
これからの夜の長さを微塵も感じさせない。





セルバンテスは少し上目遣いにアルベルトの顔を覗き込み、グラスの端をチロリと舐めると、
「さーて、もう一曲付き合ってもらおうかな?」
「…おい、それは……。」
一瞬ひるんだアルベルトのネクタイを掴み、グイ、と引き寄せる。
「!!」
僅かに触れた唇は、シャンパンよりも甘く。
「…身体が踊り足りないって言ってるんだよ。今度のダンスは私の部屋で、ね?」
そう告げて、微笑む。
セルバンテスの瞳を見つめたまま、アルベルトは口の端を歪ませると、
「そういうことなら付き合おう。」
そしてその右手を掲げセルバンテスに差し出す。
セルバンテスは楽しそうにその手に自分の手を預けると、部屋の出口へと向かった。










     ドアが音もなく閉まるのを見届けると、
     執事は黙ったまま、そのドアに向かって一礼した。





コメント
ユキノ(旧HNさつき)から、小説を頂きました!
カッコエエー!!!
えと、私の絵からこの小説を思い浮かべてくだすったそうでvv
恐縮!
そして光栄です〜〜vv
因みにこの絵→「BANG」です…本当に嬉しい…
久しぶりの小説だったから、もう手も頭も動かなくて苦労したとの事だったんですが、
いやいや。
ユキノテイストが匂って来ていい感じで御座います〜。
本当に有難うネ!ユキノ君。